2023年5月18日木曜日
Création d’Hémon de Zad Moultaka à l’Opéra national du Rhin
2023年5月16日火曜日
現代語訳「家忠日記」を読む 築山殿について
運よく図書館で 現代語訳「家忠日記」を借りることができた。
「どうする家康」の家康と瀬名の関係は微笑ましいのだが、実際はあそこまで睦まじく
平穏なものだったのか疑問だ。そして、黒田基樹氏の「家康の正妻 築山殿」はとても納得の
いくものだったが、自分でもできる限り調べてみたかったのでこの本を読むことができて
良かった。
実際、築山殿に関することは、「天正6年 2月4日 よいは雨 大雪が降り三尺積もった。
信康の御母様より音信があった。」の一行だけだった。そして、築山殿が自害した
(もしくは殺害された)日(天正7年 8月29日)、家忠は日記をつけていない、
日付はあるが記入されていないのだ。
家忠は一行日記だがまめに記すほうで、天気だけの時もあれば、仕事、趣味、社交のこと
など書きつけている。当時の日記は子孫に習わしを伝える役目もあったので、
書く必要があったのだ。だから、書かないのはよほど忙しい(戦とか)書くのが憚れる時
といえる。
この日も、ほんの数日前の連歌のお付き合いや、習慣のお寺参りなどは書きつけていた
のにポツンと空いて残していない。そして、二日後(天正7年 9月1日)
「家康が病気のため家忠は出仕しなかった」と記している。
ちなみに信康の死の時期家康は北条氏との調停をまとめるために家臣を差配し武田と戦い、
一方、家忠は築山殿の時と同様に自決した日とその二日前はなにも記していない。
家忠にとって二人の死は大きく心を動かすことで、家康にとっては築山殿の死は悩ましい
ものだったように見える。
家忠にとって築山殿はどういう人物だったかは、わからない。家臣に直接指図するのは異例
で分をわきまえないのだろうが、お声がかかるという程度に信頼を置いてくれていたとも
いえるだろう。
ただ、築山殿が死ななければいけなかった理由は見つけられなかった。家忠にもわから
なかったかもしれない。お声がかかったからお応えしよう。ご満足いくようご奉公しよう
と思っていた矢先の事態にショックを受けたのかもしれない。でなければ、あのたった一行
を残しておくことは危険だ。
このように家忠日記の行間はとても雄弁で興味深い。まだまだ序盤なので頑張って読み進め
ていこうと思う。
2023年5月11日木曜日
Oper Köln | GIULIO CESARE IN EGITTO Trailer
於万の方、水野信元について思うこと
結城秀康は徳川家康と於万の方の間に産まれた2番目の男子でなかなか認知してもらえず
秀吉の養子になり結城家に入ったという話がよく知られている。
なぜ認知されなかったかといえば、築山殿に認知されなかったからというのが専らな理由
なのだが、認知しない理由がわからない。秀康の母親が築山殿が側室と認める女房で
なかったからというのも大雑把な気がする。
では、その母親、於万の方がどのような出自だったかというと、ウィキペディアによると、
家康の母、於大の方の姉妹の娘となっている。家康とは従妹だ。そして、水野信元の血縁者
である。いまここで水野の血筋の子が家康の子として認知されるとどうだろう。
信長との取次をしている信元、於大の方は信元の妹、彼女の夫は信元に近い関係、、、
秀康の周りの水野派は圧倒的に力を持ち、信康は嫡男の座を追われるかもしれないだろう。
ひょっとしたら、暗殺されてしまうかもしれない。信元はそんな狡猾なところがあった
のだろう。後、天正3年に武田と通じたということで殺害されている。これは後に信長に
よって冤罪とされているが、当初はそれだけ危険視されていた人物なのだろう。
天正2、3年あたりは長篠の戦を挟んだ時期だから、家中にそのようなもめ事が起きるのは
士気に障りがあっただろう。ゆえに認知を拒んだ、先延ばしにしたのではなかろうか。
築山殿一人の意思でのことではないような気がする。
2023年5月8日月曜日
夏目広次に関すること
夏目広次(1518~1573)は「おんな城主直虎」が放送されていたころ、その人物周辺を
検索していたころに知った。
当時は夏目漱石のご先祖様だとか、小野政次の異母兄弟の妻の縁者、松下之綱の姉妹を
妻にした人物。また、松下之綱は井伊直正の養父(母親の再嫁相手)の異母兄弟ということ
を知った。
今回わかったことは、徳川家康の家臣で三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討ち死に
したということだ。
そういう名の通った人物だとなれば、ウィキペディアでもある程度情報が得られるので読み
進めていくと、矛盾が出てきたので書き留めておく。
夏目広次(ウィキペディアでは吉信)は松下之綱の「娘」を妻にし、信次(1555~
1631)、吉次(1572~1643)をもうけている。
ここからが疑問箇所なのだ。
松下之綱は1537年生まれなので、仮に元服して子をもうける年齢に達するとすれば、
14、15歳になる1551~1552年あたりからだと思う。そうなると「娘」は明らかに
10歳未満で妊娠、出産なぞ不可能だ。それなのに、信次が存在するというのは明らかな
矛盾になる。
また、夏目が遠江に入って来るのは遠州忩劇以降と思われるし(家康元服時の1555年は
遠江は明らかに今川領なので、国衆家臣と国衆が婚姻関係になるのは疑問)郡代になった
1563年で「娘」はやっと12歳ぐらいでは、婚姻関係も形ばかりになろうかと思う。
良くて吉次を産める、というのが妥当な線ではないかと思う。
つまり、信次は松下之綱の血縁ではないだろう。
さて、夏目には1562年生まれの吉忠という跡取りがいたようだが、母親がわからない。
遠州忩劇以前から遠江に関りがあったかどうかもわからないが、これが松下の縁者という
こともありえるかもしれないが、松下の「娘」は無理がある。
いずれにせよ、信次を松下之綱の血縁とするならば、ここは松下の姉妹が妥当だと思う。
2023年5月1日月曜日
Giulio Cesare in Egitto - Trailer
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