2026年8月13日木曜日

チューダー朝の王妃の肖像のテンプレート化を考える。

チューダ ー朝の宮廷画家ホーレンバウト( Horenbout workshop )の作品群を制作年代順に追っていくと、表現が洗練されていくと同時に、対象のポーズがパターン化されていくことに気付く。今回はそのテンプレートがいつから始まりどのように固定化していくかを確認する。

まずはランカスター朝のマーガレット・オブ・アンジュー①、ヨーク朝のエリザベス・ウッドヴィル②とアン・ネヴィル③④を確認する。このころの王妃は肖像画が見当たらず、写本のなどに彼女たちを見つけることができる。彼女たちのポーズはその場にふさわしい姿で描かれ、頭には王妃の王冠を被っている。「王冠」が女王の印である。


次の王朝チューダー朝はヨーク朝との王位継承争い(薔薇戦争)をヨークの王女エリザベスとヘンリー・チューダーとの婚姻で解決することによって始まる。これによりヘンリー7世の王位は勿論妻で王妃となったエリザベスの正当性を表すメッセージのついた肖像画が表れる⑤
時を経てヘンリー7世の息子ヘンリーが王位に就く。ここに妻として迎えられたのが、ヘンリーの兄で早世してしまったアーサーの妻だったキャサリン・オブ・アラゴンである⑦⑧。彼女はカスティーユの女王イザベラ⑥の娘である。キャサリンの肖像は母に似せた髪型で描かれ、背景にヘンリー8世の妻、王妃であると伝えている⑧。またヘンリー7世の王妃の装束にも似せた肖像画も描かせイングランド王の王妃であるという視覚的メッセージも発している⑦。頭に被るのは王冠ではなく gable hood である。イングランドの王妃の記号は「gable hood」に」置き換えられる。

さて、キャサリンは在位中長男を早々に失い、娘のメアリーの成長を頼みにと気の毒な境遇ではあったが、24年近く王妃であった。その間の肖像画の彼女は 「gable hood」を身に着けている。時代が下れば流行も変わるのに。
「gable hood」は王妃の象徴となった。そして後ろに流れる2本のヴェールのアレンジまでもキャサリンは王妃の象徴にしてしまった⑨⑪⑫。向かって左のヴェールを折り曲げてフードの乗せるのが彼女のスタイルだ。「十字架」も大事なアイテムだ。神に祝福されて王妃の地位にいるからだ。
その後、彼女は夫ヘンリー8世に離婚される。新しい王妃はアン・ブーリンだった。彼女の生前の肖像画はないとされている。同定できるものを探しているというのが現状だ。ただし、このコインのプロトタイプの顔は当時のアンである。彼女は自身こそが正当な王妃であると主張したかのようなスタイルでコインに収まっている⑬。「キャサリンのお決まりのアレンジの イングランドの装束であるgable hood」を被り、「十字架」を掛けている。⑪⑫を上書きするかのように自分の顔をキャサリンの様式に嵌めこませている。背景には「A. R (Anne Regina 女王アン)」のみ記している。そしてコインは彼女のモットー「THE MOOST HAPPI (the most happy)」で縁取られている。アンは女王である自分を大いに宣伝したかったが、キャサリンの姿を自分の姿で上書きすることでしか周知させることができなかった。ところで面白いのは彼女のポーズだ。胸を張って腕を大きく広げている。何をしたかったのだろう。

1536年1月にキャサリンが亡くなり、6月に男子を産むことなくアンは処刑される。コインはプロトタイプのまま鋳造されず、あの姿は陽の目を見ることはなかった、はずである。しかし、アンの処刑の次の日に王妃になったジェーン・シーモアはあの姿でミニアチュールで披露される⑮。再現性の高さに驚く。ホルバインの彼女の肖像画では別のポーズをしているジェーンは、王妃として認知されるために、この時期では流行おくれの gable hood を「キャサリンのお決まりのアレンジの イングランドの装束であるgable hood」のスタイルで被り、十字架をつけ、アンの様に胸を張って腕を広げている。
1536年6月ジェーンは王妃になり、その後ヘンリー8世に嫡男を与え息を引き取る。男子は短命とはいえ、エドワード6世となり王朝は続いていく。
キャサリンから始まった視覚的王妃の証明はジェーン・シーモアのミニアチュールと彼女の業績で完成された。
              Jane Seymour by hans holbein c.1536


①②③④⑤⑥anonymous
⑦ Joaness Corvus
⑬⑭(表裏)anonymous
⑧⑨⑩⑪⑮ Horenbout

2026年7月30日木曜日

新しいアルハンブラは何でできているか

 Van Cleef & Arpels を購入できないけれど、このクローバーのモチーフは知っている。半貴石の板状のカボションを金属枠に4か所の爪で留めたモチーフで可愛らしいし、スペインのイスラム系のタイルや漆喰モチーフを思い起こさせるエキゾチックな感じもいい。

で、次回はこのピンクのパーツが嵌められるそうで、それが何か想像してみた。          製造工程は今まで通りパーツを枠に収めて4点で留めるもの。問題はピンクのパーツが何でどのように量産体制にのせるかというところだ。

以下はすべて仮定と推測と妄想なので、よろしければお付き合いください。




ピンクのジェムストーンは数をそろえるのは困難なので、VCAはエナメルで解決することにした。ガラスである。半貴石よりも安価で残念な代物なるのだろうか?と思うことなかれ。これはかなり技術がつまった物のようだ。


資料を読み解くとピンクのエナメルを削り出しているとなっている。このピンクは聞くところによるとゴールドルビーと呼ばれるもので、ググると日本の切子ガラス、ヨーロッパのボヘミアンガラスなどにある赤い被せガラスの素材と思われる。この赤いガラスの色はゴールド(Au)に由来するものなので、日本では金赤(きんあか)欧米ではゴールドルビーガラス、またクランベリーグラスと呼ばれる。
ガラスの正体がわかれば、あとはそれをクローバー型にモールドして量産化かと思えばそうでもなさそうだ。資料の写真を見るとクローバーのガラスは中央に十文字の濃い部分、端に向かって薄い部分のグラデーションになっている。また、資料は「エナメル」というのだからエナメル技法(ガラス粉を何らかの土台に塗布して焼成する)を使わなくてはいけない。想像するに、このクローバーはまず土台になる透明ガラスをクローバー状にそして中央は十文字状の掘り込みしたのではないだろうか。そしてこの土台にゴールドルビーガラス(金赤)を塗布して赤色を焼き付け、研磨仕上げを施してピンクのグラデーションをもつパーツに仕上げたのではないか。

と、この様に考えて続けても、所詮ガラスはガラスでしかない、と思うだろう。けれど古代からある被せガラスの技法(ガラスカメオなどに見られる)とエナメル技法、ボヘミアンガラスの赤が永い時を経て日本に渡って切子細工ガラスになったという歴史の集大成がこのアルハンブラになったと思えば、それはちょっとしたロマンかもしれない。

このロマンに賭ける若さと経済力がないのは残念である。

こちらがソース



2026年7月14日火曜日

Kiri Te Kanawa Song Quest 2026 でカウンターテナーが優勝した

 https://www.youtube.com/live/dpRuAZCV5Vs?si=q-ySUWoechnV4DSZ

「キリ・テ・カナワ ソング・クエスト」というニュージーランドのオペラコンクールがある。

かつては Filipe Manu が2018、2022と出場し2022年に優勝している(当時は「Lexus Song Quest」という名称で、2025年から変更)

今回の優勝者はカウンターテナーの Samuel Mataele (19)となった。映像なしで聴いていると ほぼソプラノ、加えてパワーがある。

こちらは2026年2月にあった「ニコラス・ターリング アリアコンペティション」。スカラシップ部門で入賞している。(こちらでの優勝者は Jack Doyle (22) カウンターテナー。カウンターテナーらしい声を持っている)

https://www.youtube.com/live/APoSYR0Fc6o?si=VoaE3YNQtoY9udij

じっくり研鑽をつんで良い歌手になってほしい。

2026年7月11日土曜日

フェデリコ・フィオリオ君 (Federico Fiorio) の近況

5月23,24日に フェデリコ・フィオリオ君 ( Federico Fiorio) がマルガリータ・マリア・サラと出演したハッセのセレナータ「マルクス・アントニウスとクレオパトラ」(  Johann Adolf Hasse *Marc’Antonio e Cleopatra* )の動画がアップされていた。


ベナモールの時のように品の良い女性役が似合っている。

そして、昨日10日は Cambridge Summer Music Festival のプログラム * Il Trionfo dell Tempo e dell Disinganno *に出演した。今回も Belezza を演じている。

 

2026年7月1日水曜日

Jenny Stratford による Isabel of Castile の名誉回復

カスティリア王ドン・ペドロ1世ファン(ペトリスタ)に朗報だと思います。

ジェニファー・ストラトフォード氏が2022年に発表した論文で、ドン・ペドロの三女 イザベルの名誉が回復されました。イザベラは長らく当時(といっても彼女の死後数十年後)の記載でひどく貶められていて、それはシェイクスピアの戯曲にも反映されていました。

しかし、今回のストラトフォード氏の論文でそれが否定されました。

以下はイザベラと彼女の夫ヨーク公、次男コニスバラに関する Reditte, 氏の論文のサマリーなどです。

結論としては、「イザベルは不実でもふしだらでもなく、ヨーク公との信頼関係は強く、次男出生の疑惑などはない」ということです。

良かったですね!


ケンブリッジ伯リチャード・オブ・コニスバラの正当性? : r/UKmonarchs


The Bequests of Isabel of Castile, 1st Duchess of York, and Chaucer’s ‘Complaint of Mars’

 Medieval historian and palaeographer Jenny Stratford has debunked the enduring rumors that Isabel of Castile (1355–1392), 1st Duchess of York, had an affair with John Holland, Earl of Huntingdon. [1, 2]

Stratford thoroughly examined the Duchess's deathbed will and estate records, uncovering the following facts: []
  • The Legitimacy of Richard of Conisburgh: Rumors claimed Richard was the illegitimate son of John Holland rather than Isabel's husband, Edmund of Langley. Stratford disproves this by noting that Isabel made careful financial provisions for Richard via King Richard II, specifically to protect the money from her heavily indebted husband’s creditors. [1, 2]
  • The Husband's Devotion: Rather than suspecting adultery, Edmund of Langley asked to be buried "near his beloved Isabel" in his own will, and permitted her to distribute her jewelry and textiles, including a brooch received from Holland. [1]
  • Tudor-Era Slur Origins: Stratford traced the scandal back to gossip added more than four decades after the Duchess’s death by scribe John Shirley in an unreliable afterword to Chaucer's Complaint of Mars. [1]
Stratford published her detailed investigation into this royal scandal in the essay "The Bequests of Isabel of Castile, 1st Duchess of York, and Chaucer's 'Complaint of Mars'", featured in the collection Creativity, Contradictions and Commemoration in the Reign of Richard II. [1]
A lady of sensual and self-indulgent disposition, she had been worldly and lustful; yet in the end by the grace of Christ, she repented and was converted. By the command of the king she was buried at his manor of Langley with the friars, where, so it is said, the bodies of many traitors had been placed together. Thomas Walsingham's characterisation of Isabel of Castile (1355–92), 1st duchess of York, is not his only harsh moral judgement of a great aristocrat. The editors of the St Albans Chronicle have underlined his traditional outlook and his marked preference for ‘ladies of extreme piety’, attitudes that no doubt influenced his view of the duchess. His information was not obtained at first hand. In both this part of the Chronica maiora, completed by 1400, and in Ypodigma Neustriae, dedicated to Henry V, Walsingham recorded the date of Isabel's death as 1394, two years after it occurred. Some four decades after the duchess died, the scribe, John Shirley, added a gossipy and unreliable afterword to Chaucer's ‘Complaint of Mars’ in the anthology he compiled between 1429 and 1432. Shirley linked the love affair in the poem with a court scandal involving ‘the lady of York’ and Richard II's half-brother, John Holand, earl of Huntingdon (c. 1352–1400). This has been thought to endorse Walsingham's misanthropic view of a Spanish princess. In particular, it has lent colour to the suggestion that the duchess's youngest child, Richard (1385–1415), was the illegitimate son of Huntingdon. A very different side to Isabel's story emerges from the little that is known of her life, from her husband's will, and especially from the dispositions in the last will and testament she made on her deathbed in 1392. Isabel was the third of four children of Pedro I, also known as Pedro the Cruel, who ruled Castile from 1350. Their mother was the vivacious and intel-ligent Maria de Padilla, often described as Pedro's mistress. In 1361, when Isabel was only six, her mother died. The following year, Pedro declared that he and Maria had been lawfully married before he was forced to espouse his estranged French wife, Blanche of Bourbon, who was by then also dead, some said murdered by her husband. His claim of an earlier marriage was subse-quently endorsed by the Cortes, thus legitimising Pedro's children by Maria.



2026年6月21日日曜日

Maayan Licht and {oh} Orkestra のコンサートを視聴した

Maaya Licht | {oh!} Orkestra aus dem Historischen Rathaussaal in Nurnberg 
が配信された。Monteverdi Festival Cremona の間を縫ってのコンサートのようで、
マーヤン・リヒトのタフさに感心する。

プログラムは彼のアイコンになっているであろう「時と悟りの勝利」からの " Una Pensiero nemico di pace " で始まる。
ソプラニスタにふさわしい曲がそろえられているが、Vivaldi 「ファルナーチェ」からの
" Gelido in ogni vana "は若干深みに欠けたように感じる。(本来はコントラルトの曲)
Vivaldiを歌いたかったのなら " Sento in seno " が良かったかもしれない。

最後はこれも彼のアイコン、お気に入りの曲で締めくくられ、お得意の口笛を披露してくれた。
間に入ったアンサンブルのバイオリンコンツェルトも聴きごたえがあった。



チューダー朝の王妃の肖像のテンプレート化を考える。

チューダ ー朝の宮廷画家ホーレンバウト( Horenbout workshop )の作品群を制作年代順に追っていくと、表現が洗練されていくと同時に、対象のポーズがパターン化されていくことに気付く。今回はそのテンプレートがいつから始まりどのように固定化していくかを確認する。 まずは...