2023年5月8日月曜日

夏目広次に関すること

 夏目広次(1518~1573)は「おんな城主直虎」が放送されていたころ、その人物周辺を

検索していたころに知った。

当時は夏目漱石のご先祖様だとか、小野政次の異母兄弟の妻の縁者、松下之綱の姉妹を

妻にした人物。また、松下之綱は井伊直正の養父(母親の再嫁相手)の異母兄弟ということ

を知った。


今回わかったことは、徳川家康の家臣で三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討ち死に

したということだ。

そういう名の通った人物だとなれば、ウィキペディアでもある程度情報が得られるので読み

進めていくと、矛盾が出てきたので書き留めておく。

夏目広次(ウィキペディアでは吉信)は松下之綱の「娘」を妻にし、信次(1555~

1631)、吉次(1572~1643)をもうけている。

ここからが疑問箇所なのだ。

松下之綱は1537年生まれなので、仮に元服して子をもうける年齢に達するとすれば、

14、15歳になる1551~1552年あたりからだと思う。そうなると「娘」は明らかに

10歳未満で妊娠、出産なぞ不可能だ。それなのに、信次が存在するというのは明らかな

矛盾になる。

また、夏目が遠江に入って来るのは遠州忩劇以降と思われるし(家康元服時の1555年は

遠江は明らかに今川領なので、国衆家臣と国衆が婚姻関係になるのは疑問)郡代になった

1563年で「娘」はやっと12歳ぐらいでは、婚姻関係も形ばかりになろうかと思う。

良くて吉次を産める、というのが妥当な線ではないかと思う。

つまり、信次は松下之綱の血縁ではないだろう。

さて、夏目には1562年生まれの吉忠という跡取りがいたようだが、母親がわからない。

遠州忩劇以前から遠江に関りがあったかどうかもわからないが、これが松下の縁者という

こともありえるかもしれないが、松下の「娘」は無理がある。

いずれにせよ、信次を松下之綱の血縁とするならば、ここは松下の姉妹が妥当だと思う。

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